「アタラヨ」について

お久しぶりです。今から、少しだけ過去を振り返ります。

 

2018年8月
大学2年生の時に、「アタラヨ」というスリーピースバンドでサークルのライブに参加しました。私が作詞作曲を担当し、アレンジはメンバー3人で行いました。

 

2019年8月
アタラヨでのライブを半ば強行という形でドラムとギターのツーピースでライブに参加しました。このときの楽曲はほとんど私が作っていたと思います。

 

2度のライブで計8曲を制作しました。

 

バンドを始めた当初から、私がひとりですべて決めたいという思いがずっとありました。しかし、オリジナルをやる、と決めた時点で、私はギターを始めてから1年しか経っておらず、曲を作ろうにも右も左も分からない、といった状況でした。メンバーの2人には色々助けてもらって、本当にありがたかったです。他にも、今思い返すとその頃はバンド音楽をたくさん聴いていて、スリーピースという形に憧れがあったのだろうなと思います。

 

上の文を読んでもらえれば当然のことではありますが、バンドとしてやっていく中で自分の気持ちとバンドというあり方に矛盾が生じていることを段々と実感していきました。フロントマンがひとりで全てを決めてバンド活動をする人も確かにいると思いますが、私の実力では不可能でした。2度目のライブを終えて、ベースとドラムのふたりの忙しさとモチベーションの都合を考えて、アタラヨを私ひとりのバンドにすることをメンバーのふたりに伝えました。ふたりを振り回してしまう形になってしまって、申し訳なさもありましたが、すごく良い経験ができたと思っています。

 

アタラヨの2度目のライブが2019年8月24日だったのに対し、huesinks(ヒューシンクス)というプロジェクトで楽曲を配信し始めたのが2019年9月13日でした。振り返ってみて、間がひと月もないということに驚きました。自分はどのタイミングでソロをやると決めていたのだろう、と不思議な気持ちになります。huesinksの紹介はここではしませんが、良ければ調べてみてください。

 

そこからアタラヨの活動はなく、実質終了しているという状態です。ひとつ言うのであれば、アタラヨの活動がhuesinksに移行したというわけではないです。自分としては休止のつもりでいたので大学生のうちにどこかでしっかりとけじめをつけたいと考えていました。昨年はアタラヨの曲をいくつか作っていたこともありました。

 

さて、今回私がなぜこういう文章を書いているのか。それはあるバンドの活動を知ったからです。

 

 

なんと「あたらよ」というバンドが2020年の夏に誕生していました。さすがに驚きました。アタラヨという名前は万葉集の詩に出てくる可惜夜という言葉から取りました。私は歌集などには詳しくないのですが、バンド名を考えているときに、色々調べていて見つけた言葉でした。

 

「玉くしげ明けまく惜しき可惜夜を衣手離れてひとりかも寝む」

 

同じようにこのバンドはあたらよという言葉を使ったのでしょう。あたらよが出したMVは現在110万回以上再生されています。これを知って、しまった、と思いました。アタラヨというバンドをちゃんと終わらせる前にこういうことになってしまった、と。
可惜夜、今でも素敵な言葉だと思っています。だからこそ、他の誰かが音楽に使ってもおかしくないと思っていました。というかバンド名を決める時点で、他にいるんじゃないか、と思って調べたりもしていました。

 

私が止まっている間に、他にも霜降り明星粗品が作っているボーカロイドの曲の歌詞にも可惜夜が使われていました。

 


他の人たちが始めてしまったことと、自分というものの一部が被ってしまった感じがして、今はすごくモヤモヤしています。これは完全に自分のせいなので仕方ありません。

 

というわけで、私は「アタラヨ」にケリをつけます。2021年3月の終わりまでには必ず。よろしくお願いします。それでは。

 

2021年1月31日

 

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